日記
キャプションとか考えるのめっちゃ好き
2025/10/17
先日、お久しぶりな友人と本づくりの話をゆっくりできる機会があった。私たち一緒に飲んだことなかったんだね、なんて挟みながら4時間くらい近況と意見の交換。本と紙と詩の話をする相手として私はその友人をとっても信頼している。と、再確認した。そういえば、過去には紙を好きになるきっかけも貰っていたんだったな。
私が持ちかけた
「つくる本を、傷つけ合いは目指さないタイマン(比喩)のきっかけにしたい」
「そのために期待を込めた解釈の余白を設けるには」
という話題に対して、
「詩にしちゃいなよ」
と返してもらったのが記憶に残っている。
それから図書館で詩集をめくってみたり、検討中の本の一部を詩だと思って書いてみたりしている。扱い慣れていないんだから当然っちゃ当然だけど、後者についてはまだ手応えがない。
途中で見つけた「言葉からはじめるのは得意ではない」仮説(NEW!)はそこそこ気に入っている。雑に喩えるなら、私が仮にデジタルなツールっぽいものだったとして、
- 画像/テキストどちらも対応
- 入力は画像形式推奨
- 出力はテキスト形式推奨
みたいな状態/性格である可能性。日記は、テキストよりも手前に記憶が割と具体的なイメージとしてあるから書きやすい。なので私の場合、詩を書くにしてもその前に何らかが像として見えている状態をつくらないといけないのかも?
先週末に考えた新刊の仕様が毎日変わっていく〜。〆切前の秋って感じだ。