ソコココウボウ

日記

置いておき活動

9/11/2025

場所を建てたは良いものの、書くことが思いつかずに数日経ってしまった。いわゆる日記帳がここを含めて3つもあるので、どこに何を書いたものか~~~な状態になっている。

何を書いていきたいか考える中で、なぜ私はつくったものをあくまで人目に触れる場所に置こうとするのかが気になった。とにかく多くの人に見てもらいたいわけではないのに、あくまで公共の場には何かしらを出し続けようとしている(COMITIAには別名義で数年前から参加していた)。そのあたりの微妙なバランスを我ながら不思議に思った。誰にも見せないのだってアリなはずじゃん。

以下、仮説。

私が知覚した現実を
「そんな現実はなかった」
とみなされるのが心から嫌で、
外に表しておくことでそれを防ごうとしているのでは?

なかったことにされる恐怖やその可能性への怒りが日々どこかしらにあって、対策として「ここにあるからありますね」と反論できる態勢を整えておきたい。だから、私の中だけに出力先が留まっていない。その素材として日々の記録を使っている/頼っている。

そして、「あるね!!」と言える状態になればとりあえず安心できているので、その後の展開......多くの人に見てもらうとか、人にポジティブな影響を与えるとか......にはあまり関心を持てていない? 私にできるのは良いと思えるものを置いておくところまでで、その先は私の手を離れているような。 → 個人活動の中では意図してその先を手放している、と言った方が感覚的に近い。(2025/9/11 23:11追記)

私がつくった何かしらが公共の場に置かれている時点で、それと接点を一瞬でも持った誰かに全く影響を与えないなんてことはきっとない。そのことをただ漠然と信じていて、それが毒になる場合も薬になる場合もあるはずで、今のところはそれで良いと思ってしまっている。

以下、呟き。

この態度は結果として人との交流に及び腰になってしまう点において、見に/会いに来てくださる方々に対してちょっと不誠実である気もする。人からの反応が嬉しくありがたいことそのものは本当なので、せっかくのご縁を大切にできるように変わっていきたい......。